NOVEL-LIFE

第1話「入り交じる過去と現在」

そう言って父親から玄関から放り出され、玄関前でへたり込んだ。すると、玄関が閉まり、間をおかずして中からガチャガチャと鍵を掛ける音が聞こえる。

鍵を閉めると、父親はそのまま居間かどこかに行ってしまったようだ。子どもは一人地べたにへたり込んだままである。

そこには、木造の古いタイプの一軒家と、その玄関前に座り込む3〜5歳くらいの幼い子どもの姿があった。父親に怒鳴られ、家から放り出されて一人途方に暮れている。

彼女は泣いているのだろうか?

疑問を投げても、それ以上のことは分からない。時が静止したかのように、すべてはそこでストップしている。

記憶の奥を探ってみても、それ以上のことは何も思い出せなかった。

(……あれ?)

気が付くと、楠美也子はオフィスの自席でパソコンに向かっていた。周囲に目線を向けると、オフィスのフロアでは同僚たちがパソコンに向かって業務に励んでいる。

いつもと何ら変わりのない、オフィスの日常風景がそこにはあった。

(ああ、そうだ。資料つくってたんだっけ……)

一瞬の混乱の後、美也子は我に返って自分が何をしていたのかを思い出す。

業務マニュアルとして社内向けの資料を作成していたところだった。そして、パソコンに向かって作業をしている時、突如昔の記憶が白昼夢のように頭の中に浮かんできたのだ。

それは、おぼろげに残っている幼い日の記憶。もう何年も、いや、もしかするとそれ以上の時間、とうに忘れ去っていたものだ。

美也子は、その記憶を振り返ると、どことなくしみじみとした気持ちになった。

(確かに、そういえばそんなこともあったな……)

決して良い思い出とは言えないものの、この時美也子が抱いた感想はその程度のものだった。

あまりにも古い記憶で、もう部分的にしか思い出せないからだろうか。

父親に家から出されて悲しかったのか、悔しかったのか、それとも恐ろしかったのか。美也子には、当時の自分の感情すら思い出せはしない。

あの後、子どもらしく声を上げて泣いていたような気も、悔しさに無言でただ涙を流していたような気も、このまま家に帰れなかったらどうしようと不安がっていたような気もする。

とはいえ、どれもが正しいようにも、どれもが違っているようにも思えて定かではない。

それでも一つ確信しているのは、その状況にどこか『慣れ』を感じていたことだ。似た出来事は何度かあった。そういう意味では、それは特別な出来事ではなかったのだ。

さすがに5歳にも満たない幼い子どもを本当に家から締め出されることはなかったものの、怒鳴られて玄関から放り出されたことは一度ではなかったし、叱られて真っ暗な押し入れの中に閉じ込めらたこともあった。

だが、あれからずいぶんと時間は経っているし、もう家を出て父親と顔を合わせることもほとんどなくなった。荒波のような幼少時代を経たとはいえ、今となっては、過去の出来事の一つを思い出しただけで異常に胸が痛むようなことはない。

まるで映画の映像を見るかのように、どこか他人事のような気持ちで、美也子は頭の中に蘇ったその記憶を眺めていた。

美也子は、今では26歳となり、社外向けのヘルプデスク業務に携わっている。

同じ部署にいるヘルプデスクのスタッフは十数人と、それほど大きな規模ではなく、全体が一つのチームのような距離感がある職場だ。

業務の中心はいわゆるコールセンター業務で電話応対である。複数の案件を同時に対応しているため電話応対には気を使うものの、コール数は安定していて普段はそれほど忙しくはない。空いている時間を使って、過去の応対履歴や資料を熟読しながら学習する時間も比較的余裕を持って取れているほどだ。

美也子は、白昼夢のような過去の記憶を追い出し、気を取り直してマニュアルの作成に戻った。マウスを片手に画面を凝視しながら、業務フローチャートをつくるためにオートシェイプの編集をする。

だが、なかなか思うようなものができないと格闘していると、突然脇から声が掛かった。

「楠さん」

オートシェイプに集中していた美也子は、一瞬の間を置いてから自分が呼ばれたことに気付くと、顔を上げてそばに立っている人物を見上げる。

そこには、中川達也が立っていた。

「楠さん、ちょっといい?」

「はい」

「この前話した、担当してもらう新しい案件だけど、資料メールで送っといたから。とりあえず目を通しといて」

「はい。分かりました」

「じゃ、よろしく」

それだけ言うと達也は自席に戻っていった。

達也はヘルプデスクのリーダー的な役割をしていて、クライアントへ報告するための応対履歴や応対件数の管理などを行っている人物だ。美也子よりも年上の29歳で、スラリと背が高く、どちらかと言うとイケメンの部類に入るタイプの顔立ちで、仕事もそつなくこなす。

美也子は、誰にも話してはいなかったが、実は達也のことが密かに好きだった。

その始まりは、美也子がこの部署で働くようになってすぐの時に、一目惚れをするかのように訪れたのである。

この小説を書いた人

柴門 依里(さいもん えり)というペンネームで小説を発信、Web作家としても活動しているブロガー。「自分らしさを活かした豊かな生き方を実現する」ことをテーマにしたブログでの情報発信、小説作品を執筆中。

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柴門 依里の作品

コンプレックスや自信の無さ、過去の思い出。

ネガティブな思いに振り回されながら自分らしい生き方を模索する現代女性を主人公に、心理的な変化や成長を描いた物語。

「不器用でも、いつも自分に正直でいたい」

そんな願いを持つ女性たちにお届けしたいストーリーです。