NOVEL-LIFE

第5話「事実と勘違い」

その日の夕方。

17時を過ぎ、その日の電話受付は終了していた。この時間帯は電話応対をしている人は少なく、終礼の時間までは比較的のんびりとした空気が漂っている。センター内のスタッフのほとんどは片付け半分、雑談に花を咲かせていた。

美也子もすでにその日の対応履歴を書き終え、ほぼ終業時間を迎えるだけとなっていた。終礼が終われば後はもう帰るだけだ。定時ピッタリに帰れるように、パソコンのアプリケーションを終了し、デスクの上を片付けを始めていた時だった。

「楠さん」

美也子と同じように、その日の電話応対が終わり、左隣にいる福田智子と雑談に興じていた麻理子が美也子に話しかけてくる。

「あのね、さっきお昼休みに休憩室で加藤くんと一緒になって、ちょっと話してたんだけどね」

「ええ」

「加藤くんいつもお弁当持ってきてて、お昼はいつも休憩室使ってるんだって」

「へえ、そうなんですか」

思わずいかにも意外そうに美也子は相槌を打った。二十代半ばの加藤がいつも弁当をつくっているとは。いわゆる弁当男子というやつだろうかと美也子が感心していると、相変わらずのにこやかな笑顔を崩さずに麻理子は話を続けた。

「そうそう。ビックリでしょ? 私も始めて知ったんだけどね。だってお昼って普段みんなバラバラだもんね?」

「ええ、そうですね」

確かにそうだと美也子は思いつつも、麻理子の『お昼は普段みんなバラバラ』という言葉で、この後にくる話の展開が何となく予想が付き始めていた。

「だからね、来週くらいに皆でお昼食べに行こうかって話になったんだ」

――やっぱりそうか。

美也子は自分の予想が当たったことに驚くでもなく、確認の意味を含めてこう返す。

「……皆でお昼ですか?」

「うん。皆っていってもうちとBチームのメンバーになると思うけど。楠さんもどう?」

特に断る理由も見つからない美也子は、その場で誘いに乗った。

「……いいですね。ぜひ」

「よかったあ! でもまだ日にち決まってないから、もし都合の悪い日があったら教えて」

「今のところいつでも大丈夫です。思い出したらまた言います」

「うん、ありがとう。それじゃ、よろしくね」

ニッコリとして麻理子はそう言うと、逆隣の智子との会話に戻っていった。

「福ちゃん、楠さんもランチ行くって――」

――皆でランチ、か……。

聞こえてくる麻理子たちの会話を耳にしながら、美也子はそう心の中で反芻する。

すると、途端に胸がざわつき始め、それをごまかすように、美也子はパソコンの画面を凝視していた。

「楠さん、もう電話終わった? お昼行こうー」

翌週の水曜日。例のランチ会はこの日に決まっていた。12時になり、午前中の電話受付が終了すると、皆で声を掛け合い外に出る。

「加藤くん、お昼行くよー」

この日は男女8人が参加するが、午前中の電話応対が長引いた加藤だけは、後で遅れて来ることになった。

加藤を除くメンバーは、皆でビルを出て店に向かう。目的の店は、美也子が何度か行っている坂を上がり切ったところにある蕎麦屋だった。

あの店ならオフィスから徒歩で5分も掛からない。それに、店内も広く大きなテーブル席もある。大人数でも皆でまとめて座れるだろうというのが選ばれた理由の一つだ。

「あ、青になったよ」

ビルを出てすぐの信号が青になると、交差点を渡り、真っ直ぐ進む。お昼時の快晴の空の下を、ぞろぞろと男女7人が蕎麦屋に向かって歩いて行った。散歩日和のこんな日は、外に食べに行くにはピッタリだ。

気分良く歩いていたが、緩い坂道に差し掛かり、坂を上がる途中で『小さな蕎麦屋』が目に入ると、苦い記憶が美也子の頭をよぎる。

あまり思い出したくない記憶を考えないようにして、そのまま店の前を通り過ぎようとしていた矢先、麻理子が話題を振ってきた。

「あ! ここ! 楠さんの行きつけのお店だよね? 私も今度行ってみるね」

麻理子はそうにこやかに言った。

――違うんです。

一瞬美也子はそう言いたい衝動に駆られる。

だが、『この店が美也子の行きつけだ』と一片の疑いもなさそうな麻理子の笑顔を目にすると、美也子は言葉を返す気が失せ、答えをにごすようにただ笑顔を返した。

そうと思い込んでいる相手には『違う』と言ったところで、あまり意味がないように思えたのだ。

そもそも、麻理子との会話は、ただの世間話に過ぎない。きっと美也子の行きつけの店がどこかに、麻理子が本当に興味を持っている訳ではないだろう。つまり、それが正しいか否かなんて、麻理子にとっては『どうでもいい』情報なのだ。

それに、麻理子のイメージでは、美也子の行きつけはあの小さな蕎麦屋であって、それ以上でも以下でもないのだろう。『繁盛している大きな店で一人で食事をしている美也子』よりも、『誰も知らないようなひっそりとした店で食事をしている美也子』というほうが麻理子の中ではしっくりくるのに違いない。もし麻理子がそんなイメージを前提に話をしているなら、それを覆すのは難しい。

もしくは、麻理子自身が一人で食事をするのが苦手だということもあり得るだろう。要は、自分ができないことを美也子が普通にやっているということを認めたくなくて、『難易度の低い選択肢』を正解だと決めつけたいのかもしれない。

とはいえ、どちらにしても、対して違いはないだろう。ムキになって否定をしたところで、それが何になる訳でもないのだ。

そう、どこか冷めた思いを抱えながら歩いていると、気付いた時には、もう目当ての蕎麦屋の前に着いていた。

先頭にいる坂田がガラッと扉を開けて店の中に入ると、皆がその後に続く。

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

店内の女性店員の元気の良い声が響く。

「8名で」

「8名様ですね。こちらへどうぞ」

店員に案内され、皆で席まで移動する。店内は、すでにサラリーマンやOLでそこそこ混雑している様子だ。

「こちらのお席にどうぞ」

店員から8人がまとめて座れる大きなテーブル席を案内される。

「こちらメニューでございます」

テーブルに着く皆に、店員がメニューを配っていく。

そして、店員が美也子にメニューを差し出すと、笑顔でこう言った。

「いつもありがとうございます」

美也子は店員に軽く会釈をしてメニューを受け取った。

この店には一人でも何度か来ている。この店員は、きっとそれを覚えていたのだろう。わざわざ覚えていてくれて、こんな風に声を掛けてもらえるのはうれしいものだ。美也子の胸には驚きと小さな感動を覚えた。

とはいえ、美也子がこの店の常連であることを示すその言葉を、麻理子が聞いていたらどう思うだろうか? 美也子はどことなく気まずいような変な気持ちになっていた。

「ご注文お決まりですか?」

店員がお冷を置きながら尋ねると、注文が決まった人から順にメニューを告げていく。

「少々お待ちください」

全員の注文を聞き取ると、店員は足早に厨房の方へ歩いていく。

「トゥルルル」

すると、テーブルに置いていた坂田の携帯電話が鳴った。坂田がそのまま電話を受けて話し始める。

「あ、加藤くん? ……終わった? ……そう。……奥のほうのテーブル席にいるから。……うん。それじゃ」

坂田が電話を切ると、麻理子が状況を尋ねる。

「何なに? 加藤くん終わったって?」

「うん、今から来るって」

「そっか。良かった」

「そうそう、加藤くんって、いつもお弁当持ってきてるんでしょ? 料理得意なの?」

「え? 違う違う。愛妻弁当だよ」

「えー!? 加藤くん結婚してるの?」

本人がいない間に、皆は加藤の話題で盛り上がっていた。周囲が一様に楽しげな雰囲気に包まれる。

そんな中、美也子はその場にいながらにして、周囲の様子を一人他人事のように感じていた。まるで膜やガラスでも通してそこにいるような変な感覚が離れない。

違和感を抱えたまま、その場をやり過ごすしかなかった。

この小説を書いた人

柴門 依里(さいもん えり)というペンネームで小説を発信、Web作家としても活動しているブロガー。「自分らしさを活かした豊かな生き方を実現する」ことをテーマにしたブログでの情報発信、小説作品を執筆中。

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柴門 依里の作品

コンプレックスや自信の無さ、過去の思い出。

ネガティブな思いに振り回されながら自分らしい生き方を模索する現代女性を主人公に、心理的な変化や成長を描いた物語。

「不器用でも、いつも自分に正直でいたい」

そんな願いを持つ女性たちにお届けしたいストーリーです。