NOVEL-LIFE

第7話「形だけの笑顔」

「おはようございます」

「おはよー」

翌日、美也子はいつもの時間に出勤すると、自席につきパソコンを立ち上げた。

今日もまた、新しい一日が始まる。前日の疲れが残り、気分はまだ重たかったが、そうとばかりも言ってはいられない。

時間はとどまることなく常に流れている。とりあえずのところは気分を切り替えて働かなくてはと、美也子は気を引き締めた。

まだ始業まで10分ほどあるとはいえ、この時間帯には大半の社員がすでに出勤している。黙ってパソコンに向かっている人もいれば、和やかに雑談タイムを過ごしている人もいてまちまちだ。

美也子はパソコンが起動し、業務で使うファイルを開いていると、横から雑談に興じている声が耳に入った。

ちらりとその声の方向に目を遣ると、麻理子や智子、そして達也が雑談に興じているのが目に入る。

「――で、ハンバーガー2個とサラダとポテトとドリンクを頼んだら、何とお会計が1,500円とか言われて」

「ええ? 1,500円ですか?」

「な? ビックリしただろう?」

「確かにビックリしましたけど。でもそれ、そもそも注文の仕方がおかしくないですか?」

「え? そうか? ……だって、ハンバーガーは一つじゃ絶対に足りないだろう」

呆れ調子でそういう智子に対して、達也はそう力説した。

「いやいや、そういうことじゃなくて。ファストフードに行って一人で1,500円分も頼む人なんていませんよ。中川さん、経済観念なさすぎじゃないですか?」

「そうですよ。私、中川さんが何で独身なの分かる気がしました」

「……そうかあ?」

パソコンの画面に視線を向けたまま、会話を耳にしていた美也子は、そのやり取りに思わず小さくクスッと笑った。

会話の内容が面白いというよりは、達也の『飾らなさ』を微笑ましく思ったのだ。達也の言動には、自分をよく見せようという『計算』や『偽り』のような無駄なものが感じられない。美也子にとってはそんな自然体の姿が心地よく、疲れていた心に小さな灯をともしたような温かさを感じた。

午後12時。

午前中の業務を終え、昼休みになると、美也子は散歩がてら少し離れたところにあるカフェまで歩いて行った。天気が良い日は、外の空気の中で歩くのも悪くはない。ずっとオフィスの中にいるよりも気詰まりにならずに済むと美也子は思った。

カフェでサンドイッチを食べて昼食を済ませると、13時少し前にオフィスに戻った。これなら、ちょっと気分もスッキリとした状態で仕事に戻れるかもしれない。

そう思いながら、美也子はロッカールームに荷物を置き、化粧室に立ち寄る。

そこで簡単に化粧直しをしていると、麻理子と智子が入ってきた。

「あ、楠さん、お疲れー」

「お疲れ様です」

二人は歯ブラシを取り出し歯磨きをし始める。その間に、美也子は化粧直しを終え、メイク用品をポーチにしまう。

そのまま化粧室を出ようとすると、歯磨きを終え、化粧直しを始めた麻理子が話しかけてきた。

「楠さん、今日はお昼どこ行ってたの?」

「駅の向こうのカフェまで行ってサンドイッチ食べてきました」

「へえ、サンドイッチ? 軽くない?」

「……そうでもないです」

「えー、もしかして楠さん、少食だからそんなに細いの?」

「そうだよねー。楠さん細いよねー。スタイル良くてうらやましい」

智子も化粧直しをしながら会話に入ってくる。

「いえ、別に少食って訳でもないですけど……。食べる時には食べますし」

「えー? でも太らないんでしょ? いいなあ」

「ほんとだよねー。……なんかさー、楠さんって全然悩みなさそうでいいよねー」

(……!?)

悩みがなさそう』。智子が何気なく言ったその言葉に、美也子の心に鋭く刺さるものを感じた。

「……そうですか?」

心の中でガラガラと何かが崩れていくのを感じながら、美也子は絞り出すようにそういうのが精一杯だった。

「そうだよー。それにいつも大人しいし、何て言うか、『箱入り娘』って感じ?」

「そう! 育ちが良いお嬢さんみたいな。今もご両親と一緒に住んでるの?」

再び何かがガラガラと崩れていく感覚を覚えながらも、美也子はそれを抑えつつ言葉を返した。

「……いえ。今は一人暮らしです」

「えー? そうなんだ?」

「……ええ」

美也子は、そう言いながらもズキズキと胸が痛むのを感じていた。

そして、ふと目線が正面に向き、鏡に映った自分が目に入るとハッとした。

そこには、まるで表情がない、のっぺらぼうの自分が映っている。というよりも、喜怒哀楽が一切存在しないまま形だけの笑顔を浮かべる、不自然で醜い顔がそこにはあった。

それは、ある意味内心を忠実に反映した表情だと言えるかもしれない。窮屈さや苦しさの上に、無理に感じが良さそうに見える笑顔を載せようとした不自然さがある。それはまるで、『本心を隠して表面上を必死で取り繕おうとしている人』の様子を絵に描いたかのようだ。

普段鏡を前に人と会話をする機会は少ないので、あまり意識していなかったが、これはあまりにもひどい。自分は普段、こんな状態で人と会話をしているのかと、美也子は愕然とした。

しかし、これだけ不自然な顔で会話をしていても、それを誰一人おかしいと思っているような人もいないことが美也子の心をさらに曇らせた。つまりそれは、『これが美也子そのものなのだ』と、誰もがそう思っていることを表しているということなのだから。

確かに、それは真実でもあるだろう。少なくとも、今の美也子の現実がそこには存在している。

楽しくもないのに笑おうとしている。

苦しいのに楽しい振りをしようとしている。

何かに違和感を感じているのに、それを知らない振りをしている。

それが『今の美也子の姿』だというのは間違いない。

だが、それは本来の美也子ではないことも確かだろう。もともとは、もっと自由な自分自身がいたはずなのに、それをどこかに置き去りにしてしまったのだ。

美也子は、心の動揺を必死で抑えながらも、今になってやっと自分が何をしているのかが分かったような気がしていた。

この小説を書いた人

柴門 依里(さいもん えり)というペンネームで小説を発信、Web作家としても活動しているブロガー。「自分らしさを活かした豊かな生き方を実現する」ことをテーマにしたブログでの情報発信、小説作品を執筆中。

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柴門 依里の作品

コンプレックスや自信の無さ、過去の思い出。

ネガティブな思いに振り回されながら自分らしい生き方を模索する現代女性を主人公に、心理的な変化や成長を描いた物語。

「不器用でも、いつも自分に正直でいたい」

そんな願いを持つ女性たちにお届けしたいストーリーです。