NOVEL-LIFE

第8話「行き場のない感情の叫び」

その週末。

美也子は一週間ぶりの休日を過ごしていた。

軽く朝食を済ませた後、洗濯機をまわし、掃除機をかける。そして翌週の食事のストックを用意し、一通りの家事を済ませると、お茶を入れて一息つく。

ペパーミントティーのスッキリとした香りに癒やされながら、ペパーミントティーを口に含む。

ペパーミントティーをのんびり飲みながら、レースのカーテン越しに広がる外の景色に目を向ける。きれいに晴れた爽やかな空の青さが気持ちいい。

何ということのない、平和な休日の穏やかな時間がここにはある。

しかし、そんな時間を過ごしている間にも、美也子は心に残っている『疲れ』を感じていた。

頭の中には、数日前に麻理子や智子に言われた言葉がいまだにグルグルと巡っている。

「楠さんって悩みなさそうでいいよね」

「育ちが良さそう。今もご両親と暮らしてるの?」

これらの言葉は、鋭利な刃物で切りつけられたかのような傷を美也子の心に残した。こんな平和な休日を過ごす穏やかな時間にさえも、美也子の心にモヤモヤと暗い感情をわき起こさせる程度に。

だが、それも無理はないだろう。美也子の中では、物心ついたときから、一時たりともある種の悩みと無縁だったことはないのだから。しかも、その大元をたどれば、幼い頃の家庭環境に行き着くのだ。

にもかかわらず、『悩みがなさそう』『育ちが良さそう』などと言われるパラドックスに陥っている。

辛い感情を抱えながらも、自分の人生を形作ろうと一人奮闘しているのに『悩みがなさそう』だと言われ、さらには『育ちが良さそう』などと、自分がした努力の結果が両親の手柄かのかのように言われている。

そのことも美也子をモヤモヤとさせている大きな理由だが、麻理子と智子は、表面上は褒めているようなことを言いながら、それはおそらく『本心』ではないであろうことがさらに嫌だった。彼女たちの言葉には、どこか棘のようなものを感じるのだ。

美也子はもう一口お茶を飲む。ペパーミントティーのスッキリとした香りと感触が広がっていく。

「ああ、お茶が美味しい……」

優雅にお茶を飲み、そうつぶやきながらも、麻理子と智子の言葉について考えていると、さらに疲れが倍増していくかのように感じられた。

どうしてもスッキリとしない。ペパーミントティーの爽やかさも、美也子の心の疲れをきれいに取り除いてはくれないのだ。

とはいえ、それは美也子自身にも分かっていた。こんなことは、今に限ったことではないのだから。

その『疲れ』は、『今ここにいない』という感覚とともに、いくら取り除こうと試みても、決して離れていかないものだ。まるで、それが『日常の一部』のようにも、『自分自身の一部』であるかのように。

しかし、美也子には、段々とそれが何かが見えてき始めていた。

きっと、行き場を失くした過去の感情が、亡霊のようにグルグルとさまよっているのだ、と。

美也子は、今まで自分の本心を心の奥に押しやったまま、きちんと自分の感情に対処をせずに現実に流されるまま、本心に蓋をして過ごしていた。だから、幼い頃から抱えていた悲しみ、怒り、不信感といった感情が行き場がなくなったままになってしまったのだと。

そして、それらの行き場のないままった感情が抑えきれずに、その原因となった過去の思い出を今の現実の中に再現し「いい加減に知らないふりをするのは止めろ!」と美也子に訴えているのだ。

それでも、美也子はそれすらも認めようとせず、別の感情で覆い隠しては表面上の日常生活を追い求め続けた。

だが、当然のごとく、たとえ仕事に打ち込もうと、美味しいものを食べようと、面白い映画を見ようと、友人と出かけようと、どこにいても何をしていても、打ち消すことはできなかった。いつでも、そこには行き場のないままさまよい続ける負の感情が残っていたのだ。

そんなことを考えながら、美也子は再び子どもの頃のある出来事を思い出していた。

その時、美也子は何かを怒っていた。何に怒っていたのか、細かい記憶は定かではないが、それを両親に抗議するかのように、夜が更けてもベッドに入らず居間に座り込んでいた。

だが、その美也子の目の前を、母親はただせわしなく通り過ぎていくだけだ。

そこにいるはずの美也子の姿は、まるで目に入っていないかのようである。

しかし、美也子は段々と虚しくなっていく。

あれからどのくらいの時間が経っているのだろうか? 数十分、一時間ほど経っただろうか? 一体自分は何をやっているのか? このまま誰にも気付かれることもなく、朝になってしまうのではないだろうか? そんな不安とも焦りともつかない感情がわき始める。

すると、家事が一通り済んだらしい母親が、やっと美也子に近づいてきて、声を掛けた。

「あら、あんたまだそこにいたの?」

美也子は、この時の母親の態度にひどく心を折られたことを覚えている。そして、それをどこかで恨みに思っていたが、今にして思えば美也子が自分に対して取っている態度も、これと大差ないのかもしれない、と思った。

『目の前の現実を生きる』という、その目的の邪魔になりそうな存在、母親にとってはそれが美也子だったのだろうが、今の美也子にとって、それは『自分の本心』だ。つまり、自分の本心に蓋をして別の感情でごまかし、それがなかったことにしようとしてきたのだ。

美也子の母親にとって、美也子の存在や子育ては、彼女の『現実』の中には含まれていなかったことは美也子をひどく傷つけたものの、美也子自身も自分の感情をそうと意図しないままに、ないがしろにしていたのかもしれない。

これは、結局のところ、美也子は母親の背中を見て育ってきたということの証明だろうか? 無意識のところで母親から引き継いだ問題に、グルグルと堂々巡りしてしまっているだけだったのだろうか?

何にしても、こんな時にばかり、自分はあの母親の娘だったのだと実感することになるとは、何とも情けない話だ。

美也子は、ペパーミントティーを飲み干すと、スッと立ち上がり、窓辺に寄る。

そして、空気を入れ替えようと窓を開けた。

窓を空けると、外の騒音とともに新鮮な空気が部屋に入ってくる。肌を撫でる外の空気の心地よさを感じながら、美也子は深呼吸する。

(さて、これからどうしよう?)

そうと分かったのに、同じ毎日を繰り返しても仕方がない。何かを変えていかなければいけない。

自分の本心に蓋をしない生き方を探していかなければ。

まだそれが何かは分からないものの、美也子は今、暗闇の中に小さな光が射したような気がしていた。

この小説を書いた人

柴門 依里(さいもん えり)というペンネームで小説を発信、Web作家としても活動しているブロガー。「自分らしさを活かした豊かな生き方を実現する」ことをテーマにしたブログでの情報発信、小説作品を執筆中。

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柴門 依里の作品

コンプレックスや自信の無さ、過去の思い出。

ネガティブな思いに振り回されながら自分らしい生き方を模索する現代女性を主人公に、心理的な変化や成長を描いた物語。

「不器用でも、いつも自分に正直でいたい」

そんな願いを持つ女性たちにお届けしたいストーリーです。