NOVEL-LIFE

第9話「過去の受容」

本心に蓋をしないで生きること。

美也子はあれから、それがどういうことかを考えていた。

現実を生きるその裏で犠牲になってしまっている本心。今まで見て見ぬ振りをして通り過ぎてきたことを、表に引き出して向き合っていくこと。

それを意識することで、今までのような空虚な日常と別れを告げることができるかもしれない。

とはいえ、自分にとって必要なものが見えてきてはいても、そのために何からすればいいのか、はっきりとした答えはまだ見えてはいないままだ。

少し前に進みはしたものの、すぐにまた霧の中に迷い込んでしまったかのような気分だった。

その翌日の午後。

美也子は自宅から電車で数駅のところにある公園に来ていた。

付近のショッピングセンターで買い物を済ませた後、天気の良さにつられてこの公園まで足を運ぶことにしたのである。

そこは都会の中にありながら緑豊かで広々とした公園で、日頃から散策やランニングに利用する人も多い。休日には家族連れの姿もちらほらとあり、のんびりとした空気が漂っている。

美也子は少し園内をウロウロと歩いた後、空いているベンチを見つけると、ゆっくりと腰を下ろす。持参していた本を読もうかと一瞬迷った後、とりあえず少し座って休んでいることにした。

ベンチに座って一息つき辺りを見渡すと、秋晴れのきれいな空の下、目線の先に広がる木々の鮮やかな緑が青空と美しいコントラストを成している。それを眺めつつ、秋の暖かい日差しに包まれながらベンチに座っているだけで、とても心地がよく感じられた。

(ああ、何だか非日常って感じ……)

そうして美也子が寛いだ気分に浸っていると、やわらかな風が肌を撫でた。

美也子は乱れる髪を手で押さえる。そうしながら、目の前に広がる木立に視線を向け、さわさわと吹く風に木々の葉がゆらめく様子を眺めた。

すると、なぜだかとても心が落ち着いていくのに気付く。

なぜだろうかと考えながら、美也子は思った。

もしかすると、それは『自然な姿』だからだろうか。

風に吹かれて木々の枝葉がしなやかに揺れる。さわさわと、風に身を任せるように柔らかく揺れる木立の姿。それは、自然の摂理に則ったごく当たり前の風景だ。

しかし、そんな『当たり前』のことが、こんなにも美也子の心を癒やしている。

それは、美也子の日常が『不自然なもの』で溢れてしまっているから、ではないだろうか?

子どもの頃から習慣になっていた、愛想笑い、本音のない会話、空虚な人間関係……、挙げていけばきりがないだろう。

いつの間にかそんな『不自然さ』で溢れかえってしまった日常に、美也子は自身が意識しているよりも疲れ切ってしまっているのかもしれない。

(あれ?)

そこまで考えて、美也子はふと思った。ひょっとすると、達也に惹かれるものを感じるのも同じような原理なのだろうか、と。

達也の醸し出す、どこか自信に満ちた堂々とした雰囲気、飾らない言葉や振る舞い。その中には、信念とか本音のようなものがちらほらと垣間見える気がする。逆に、日頃美也子を悩ませている『嘘』や『建前』『愛想笑い』といった類のものは見当たらない。そんな自然体に近い姿に、きっと惹かれるものがあるのだろう。

(自然な姿……、か)

美也子は心の中で、その言葉を反芻した。

これまで、美也子は自分の本音を押し殺し、犠牲にしながら、目の前の現実を生きてきた。それがやっと分かるようになってきている。だが、だからといって、これからは本心や本音を大事にして生きるようにしようといっても、何からすれば良いのかはまだ分からない。それ以上のことは手探り状態だ。

「ママー」

すると、美也子の目線の先に、母親を追いかける子どもの姿が目に入った。

その子は母親に追いつくと、無邪気に笑い掛けている。そして、子どもの手を引いて歩く母親。それは、一見どこにでもある微笑ましい親子の姿のように見える。

しかし、そのどこにでもある風景の裏には、きっとそれ相応のものがあるのだろう。ただ血の繋がりがあることと家族であることは、必ずしもイコールではないのだから。親子の絆なんて、何もないところからは生まれることはないのだ。

親子の絆。おそらく、幼い頃の美也子はそれを求めいたし、それを必要ともしていたかもしれない。

それでも、実際に存在したのは、見えないところでの両親との確執だった。

普段は美也子への疎ましさを隠しもしない両親が、時折笑顔を湛えて自分たちは良い親なのだとアピールする。美也子はそんな両親の態度に、本音をぶつけることも、怒りや悲しみといった本心を自分自身が認めることも、感じ取ることすらことも遮られてしまっていたのだ。

両親の子育てへ関心の低さは美也子の心を傷つけただろうが、それ以上に美也子に影響を与えたのは、都合の良い時だけ『子ども思い』の姿を見せ、すべてを帳消しにしようとした態度のほうだったのではないだろうか。

面倒なことには蓋をして知らん顔をしてやり過ごし、誰かを傷つけても謝るでもなく別の何かで帳消しにする。本音で物を語り合うことはなく、信頼関係も絆もなにもない表面上だけの関係が『暗黙の了解』として黙々と続けられる。

美也子もそんな人との関わり方が、無意識のうちに当たり前になってしまっていたのだ。

そんなことを考えていたら。うっすらと目に涙が滲んでいることに気付く。

美也子はどれだけ幼少時の経験に自分が縛られていたのか、それに自分の心が捻じ曲げられてしまっていたのか、今になってよく分かったような気がした。

美也子は涙をごまかすように、木立のほうに視線を移し、ただ木々の緑を見つめていた。

(ああ、こんなのもよくあることだな……)

こんな風に泣きたい気持ちを押し殺し、必死になかったことにしながら目の前の現実をやり過ごす。それは、とうに日常茶飯事になってしまっている。

(でも、私はよくやった。そう。本当によくやってきた。もう十分だ)

美也子はそう思った。

子どもの頃から、そうと意識しないうちに本音を出さないことが当たり前になっていた美也子は、心から打ち解けた友人もつくれず、周囲に理解者も頼れる人も誰一人いなかった。そんな中で、一人でここまでやってきたのだ。

そして、その長年さまよっていた暗闇を抜け出すための一つの答えを、自力で見出すところまでたどり着いたのだ。

本当に自分はよくやったと、今、やっとそう誇りに思うことができた。

だが、問題はこれですべて解決した訳ではなく、ここもまだ通過点に過ぎない。

とはいえ、きっとこれからも一つひとつ答えを見つけつつ、今よりずっと自分らしく生きられるようになるだろう。そこには、他の誰とも重ならない、美也子だけの生き方があるに違いない。自分だけの生き方、自分だけの人生だ。

まだはっきりとそこまでの道筋が見えてきてはいないものの、美也子はそう確信めいたものを感じた。

そして、その新しい生き方には、まだ知らないたくさんの希望で溢れている。そんな予感がしていた。

この小説を書いた人

柴門 依里(さいもん えり)というペンネームで小説を発信、Web作家としても活動しているブロガー。「自分らしさを活かした豊かな生き方を実現する」ことをテーマにしたブログでの情報発信、小説作品を執筆中。

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柴門 依里の作品

コンプレックスや自信の無さ、過去の思い出。

ネガティブな思いに振り回されながら自分らしい生き方を模索する現代女性を主人公に、心理的な変化や成長を描いた物語。

「不器用でも、いつも自分に正直でいたい」

そんな願いを持つ女性たちにお届けしたいストーリーです。