NOVEL-LIFE

小麦の食べ過ぎによる中毒状態を経て今思うこと

小麦は今や食生活に欠かせない存在になっている。

パンやパスタなどが好きだという人は多いだろうし、毎日何かしらの形で小麦を口にしている人がほとんどだろう。

とはいえ、小麦のタンパク質の一種「小麦グルテン」は消化がしづらい上に中毒性があり、さまざまな体調不良につながることも知られてきている。

実際に小麦を食べた後に何らかの不調を感じている人、健康や美容のために小麦を食べないようにしている人も増えているのではないだろうか。

私もそんな中の一人で、小麦を食べて不調を感じるという体験をしていた。そして、その経験によって体調と連動するように小麦の味が変化していることに気付いたので、今回はそのことについて書いてみたいと思う。

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私は、子供の頃からパンをよく食べていた。

小学校に入ってから、あるいはもう少し前からか、はっきりとした時期は覚えていないが、「朝食はパン」というのが習慣だったので、少なくとも一日一食はパンを食べていたのだ。

しかも、朝食にパンの他におかずが出てくる訳ではなく、パンとコップ一杯の牛乳だけが朝食だった。

といっても、それは私がパンが好きだったという理由からではない。ただ朝ごはんに出されるのがパンと牛乳だけだったから、それを食べていただけだ。

もともと私はパンがあまり好きではなかった。同じ小麦でつくられたものでも、ふんわりとした食感で甘さもあるケーキ類は好きだったものの、パンは美味しいとは思わなかったのだ。

パンにはケーキのようなふんわりとした食感はなく、食べていて口の中でダマになるような感じがするし、生地自体にこれといって味もない。餅のような無味乾燥で食べにくい物という印象を抱いていた。

しかも寝起きの悪い私は、朝は食欲もなかったので、ぼそぼそとパンを半分ほど何とか食べて、最後に牛乳を一気飲みするというのが朝食のパターンになっていたものだ。

しかし、そんな私も、いつの頃からかパンが好きになっていた。

いつから好きになったのか、好きだと思い始めた時にどんな変化があったのか、その辺りのことは覚えていない。

とはいえ、もともと苦手だったものがそうではなくなったというだけではなく、好んでそればかりをよく食べるようになったのだ。それは、ちょっと不思議なことだと言えるだろう。

さらに言うと、私が好きになった食べ物は、パンだけではなかった。年齢が経つにつれて、グラタンやラーメン、パスタなど、他の小麦製品も好きな食べ物の代表格になっていった。

しかも、パンやグラタン、ラーメンは、皆違ったメニューで、違った特徴があるにもかかわらず、どれもが同じように好きだったのだ。たとえば「カルボナーラのコクのあるクリーミーさが良い」など、そのメニュー特有の味わいが好きというよりも、パスタなら「パスタが好き」、ラーメンなら「麺が好き」というように、メニューそのものよりも「小麦が好きだから」それを食べるといった状態になっていた。

最終的には、バターを塗っただけのトーストすらも大好きなら、バターを塗っていない、トーストすらしていないただのパンだったとしても、それが美味しいと感じるようにもなる。そして、美味しいパンを食べて満足するというよりも、そればかりを食べたくなるのである。

つまり、これは単なる好きな食べ物ではなく、中毒状態になっていたのだろう。

それに対して、30代の半ば辺りまではまったく自覚はなかった。だが、後になって思えば明らかなことだ。

それと前後して、私は子供時代からの虚弱体質の一因が小麦だったのだと思い当たるようになる。そして、それから小麦を食べるのを一切止めた。

いわゆるグルテンフリーの食事を始めたのだ。

小麦が何らかの不調を招いているというのは自分でも体感できていたし、グルテンフリーの食事をすることに納得はしていた。

それでも、あれだけ好きだと思っていた小麦をやめるという決意は、初めは酷なことのようにも思えた。

だが、実際にやってみると、意外にも小麦を食べないことはそれほど難しくはなかったのである。小麦の代替えにしていた米粉製品が予想外に美味しく、新しい食事が新鮮に感じられたからだろう。特に小麦を使った料理が恋しくなることもなく、グルテンフリーの食事を続けられたのだ。

だが、グルテンフリーをしばらく続けてみて半年とちょっとの時に、付き合いで外食をした時に小麦を口にすることがあった。半年以上は避けているからもう食べても平気かもしれない……という淡い期待をしつつ、恐る恐る数ヶ月ぶりに小麦を口にする。すると、「あれ?小麦ってこんな味だったっけ……」と、軽くあっけにとられた。

過去にあれだけ好きだったはずの小麦も、しばらく振りに食べても特に感動はなかった。幼い頃に「苦手な味」と思っていたほどではないとしても、あっさりとしていて無味乾燥に近い味に思えたのだ。

やはり、好きというよりも「好きだと思い込んでいただけ」だったのだろう。中毒性に流されていただけだったのだ。

ちなみに、その後もグルテンフリーを続け、5年ほど経つ頃に、外食などで再び小麦を立て続けに口にしてしまったことがある。そうしたら、しばらくして、パンが食べたいという欲求が何度か沸き起こることがあった。グルテンフリーを初めてから、何年もそんなことはなかったのに、やはり小麦をまともにとっては良くないのだと実感させられた出来事だ。

そんなこともあり、私は食事の仕方に対する考え方は、ここ数年でだいぶ変わった。

食事は生活の基盤をつくるものの一つだが、それだけに食べるものには注意を払ったほうが良いのは確かだろう。

小麦を好きだと思っていた頃は、それが不調の原因になっているとも、中毒になっているとも、まったく自覚がなかったし、30代後半でグルテンフリーを始める少し前まで、そんな発想すらもなかったのだ。

しかし、それに気付いてからは、小麦以外で気を付けたほうが良い食品なども分かってきて、ポイントを抑えられるようになってきた。

避けなければいけなものがたくさんあり、食事の難易度は高くなったものの、それほど悲観はしていない。体質的に合わないものをそうと知らずに食べ続けていた時のほうが、よほど辛かったのだから。

とはいえ、食べるということは毎日のことなので、できる限りは食事をもう少し楽みつつ、うまく付き合えるようになりたいと思う。

そんな工夫を楽しんでみる毎日も良いのではないか、今ではそう思っている。

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