NOVEL-LIFE

通勤時間のメンタルと音楽の関係【記憶と結びついた音楽-前編-】

ポップス、ロック、クラシックなど、世の中にはさまざまな音楽が存在します。

毎日何かしらの音楽を毎日耳にしている人は多いでしょうし、音楽は日常生活に根ざした存在と言って良いものです。

音楽を聞く場面はいろいろありますが、何か悲しいことや辛いことがあった時に、その時の心情に合った曲を聴いて癒やされた経験をしたことのある人は多いのではないでしょうか。

私もそんな経験はたくさんありますが、今回はその中でもちょっと印象的な体験談を、短編小説風のエッセイとして紹介したいと思います。

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数年前、当時30代半ばだった私は通勤などの移動時間にイヤホンを使って音楽を聞くことが多かった。

一人で外を歩いている時、電車やバスで移動する時……など、スマートフォンに入っている音楽をイヤホンで聴いていたのである。

実際のところ、この「歩きながら音楽を聴く」ということは、マナー的にも良いとは言えないし、注意散漫になるので危ないのも事実で、あまりしないほうが良いことの部類に入るだろう。

もともとは私自身もそんな考えが強く、電車の中などで大音量の音楽を掛けている人に遭遇すると嫌な気持ちになるほうのタイプだった。

にもかかわらず、ある時「外出先でイヤホンを使って音楽を聞きたい」と思うようになったのだ。

それは一見おかしな心境の変化のようにも思えるが、「ひとり歩きの時間を快適にしたい」というのと、「ついでに移動中に英単語のCDの音源を聞いて勉強したい」という、一応前向きな理由によるものだった。

つまり、移動時間をただ移動だけに費やすのではなく、もっと有意義に使えるのではないかと思ったのである。

とはいえ、実際にやってみると、はじめは音楽を流すことで外の音が聞こえづらくなる感覚がちょっと恐ろしく、どこかビクビクしていた。「こんなことで大丈夫だろうか……?」と不安に思うこともあったが、次第に慣れてくると怖くはなくなり、普通に歩いていられるようになった。外の音や周囲の様子にも適度に注意を払っていたので一度も事故に遭ったこともない。

だから、移動中にイヤホンで音を聞くこと自体にはこれといって問題はなかったものの、目的の一つだった英単語の勉強はほとんど身にならないまま早々にやめてしまう。

外部の騒音で英語の音源がかき消されてしまい、ほとんど耳に入ってこなかった……ということもあるが、音量を調整しながらしばらく続けてみても、「勉強している」という手応えがまったく感じられなかったからである。

きっと、そのやり方は、勉強をするには見当違いの方法だったのだろう。最初は「ただ聞き流すだけでも英語に慣れ親しめるかも」「毎日聞いていれば記憶に残ってもっと単語力がつくかもしれない」などと思っていたが、それは甘い考えだったことを私は思い知った。移動しながらただ単語の羅列を耳にするという「ながら勉強」では、何も意味をなさなかったのだ。

しかし、もう一つの目的である「移動中に音楽を聴く」ことは非常に快適だった。

それは、特に「朝の通勤時間」で効果を発揮した。

当時週5フルタイムでオフィスワークをしていた私は、職場まで電車と徒歩で通勤していたが、その通勤途中でずっと音楽を聴いていたのである。

朝の通勤時間は何かと憂鬱ものだ。

朝の通勤ラッシュにぎゅうぎゅう詰めの電車で通勤することにはとうに慣れていたものの、体はだるいし、これから7〜8時間の仕事をするのだと思うと気分も重い。

おそらく、「仕事が好きではない」「会社に行きたくない」などと思って憂鬱になることは誰にとっても少なくないだろう。

だが、虚弱体質で疲れやすい私にとっては、体のだるさも相まって朝の通勤時間の憂鬱さは尋常ならざるものがあった。

しかし、そんな通勤時間を少しでも快適にやり過ごし、仕事に行くモチベーションを上げることに、音楽が一役買ってくれたのである。

「音楽」と言っても、ランダムにいろいろな曲を流していた訳ではない。

聴く曲はほぼ決まっていて、自分が好きな曲で聴いていてリラックスできるものだけを選び、そればかりを聴いていた。

はじめに当たり障りのないヒーリングミュージックを流し、その後はポップ・ミュージックに移っていく。それらの曲のリストは、日が経つごとに同じものに固定されるようになり、さらには再生する順番までもが毎日同じように決められていった。

そして、次第にその曲のリストは「通勤電車に乗る頃に聴き始めて、会社の入口の手前くらいに着いた時に、最後の曲を再生し終わる」ように調整されていく。

つまり、それはその職場に通う時の通勤時間向けに構成されたアルバムのようなものだった。そこに選ばれた曲たちは、聞き慣れた好きな曲ばかりで、憂鬱さに浸りきっている朝のナイーブな私の心を乱すことなくピッタリと寄り添い、優しく癒やしてくれた。

そこには目を閉じて聞きたい美しいバラード、リズミカルで聞いていて楽しい気分になれる曲など、さまざまなタイプの曲で構成されていたが、メインになっていたのは一番最後の曲だった。

職場の最寄り駅で電車を降り、会社まで徒歩で歩いていく間に聞いていた曲である。その徒歩時間が最も気鬱でつらい時間だったので、気分が前向きになる曲を聴くようにしていたのである。

その曲は、曲調がリズミカルなだけでなく、前向きながらちょっと肩の力を抜いて聴けるような歌詞も心地よく、歩きながら聴いていると自然とやる気が湧いてくるような曲で、当時とても好きな歌だったのだ。

そんな毎朝同じ曲を聴きながら通勤するスタイルは数ヶ月続く。

だが、その後職場を変え時間が経っていくに連れて、通勤時の習慣も形を変えていった。

そして、30代後半でフリーランスになり自宅で仕事をするようになって通勤がなくなると、「音楽を聞きながら通勤していた」ということがあったことさえも、あえて思い出すことはなくなっていく。

しかし、それからさらに数年が経ったある時、思いもしない形で当時の記憶が鮮明に蘇り、ちょっとした衝撃を私にもたらすことになるのだった。

※このエッセイは、以前別のブログ・サイトで他の筆名で公開していたものを一部修正・追記して再公開したものです。

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