NOVEL-LIFE

大人になってから勉強することの意味と理由

学生時代は特に勉強することが好きな訳ではなかったが、学校を卒業し社会人になってから、私は好き好んで資格を取得したり、趣味で何かを独学したりしている。

これと同じように、もともとは勉強が好きではなくても「大人になってから何かを勉強し始めた」人は、けっこう多いのではないだろうか。

なぜ大人になってから学生時代よりも勉強をするようになるのか? それはおそらく「社会人になってからする勉強は学生時代の勉強とは違うから」だと思う。

そんなことを最近ふと考えることがあったので、ここでは「私が考える勉強することの意味や理由」について書いてみたいと思う。

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繰り返しになるが、社会人になってから積極的に何かを学ぶことが増えた私だが、学生時代から勉強が好きだった訳ではない。

唯一英語だけは例外だったものの、他の教科については、ほとんど期末テストや受験のために「形だけ」勉強していただけである。これといって成績も良くはなかったし、勉強することに面白みも何も感じなかった。勉強する理由は、ただ「授業で習うから」「教科書に載っているから」という受け身なものでしかない。勉強する意味も理由も、何の役に立つのかも、具体的に考えたこともなかった。

しかし、社会人になって少し経つと、学生時代とは違う意味で「勉強が身近な存在」になり、「自分の役に立つもの」であることを実感することになる。

「何か学ぶこと、スキルを身に付けることは自分の生活に直接関わってくる」という意識が芽生えるようになったのだ。

なぜなら、仕事をすると、基本的に週5日間、一日におよそ8時間もの時間を仕事のために使うことになる。そして、その時間がどんなものになるのかは、「どんなところで働くか」「どんな仕事をするか」にかかっているからである。

さらに言うと、その「どんなところで働くか」「どんな仕事をするか」は、「自分の持っているスキルや知識」によって左右されてしまう。

だから、自分の理想とする生活を実現させたいなら、そのための一番確実な方法は「勉強して知識やスキルを身に付けることだ」と、私は社会人になって痛感したのである。

私が強くそう思うきっかけとなったのは、「仕事が嫌い」というネガティブな思いだった。その時の私は、新卒で就いた仕事が好きにはなれず、それをやっている自分自身に対しても否定的な気持ちになっていたのだ。

しかし、そんな否定的な気持ちが、私に別のやる気を起こさせ、勉強へと走らせた。「今の仕事とは別のことがやりたい」「違う自分になりたい」という一心で、もともと好きだった英語を勉強し直し、その後英語を使う仕事に転職をしたのである。

それが、私が社会人になってからも時間をつくって勉強し、それによって成果を得た最初の出来事だ。

そう、社会人になってからの勉強は、今目の前にある「不満のある現実」から「なりたい自分」や「憧れの生活」に変わるための、最も堅実で確実な手段として活躍したのである。

しかし、現状に特別な不満はなくても、なりたい自分や叶えたいことがあり、それを実現するために勉強をすることもある。

これは、分かりやすく言うと、「買い物をする」ことに似ている。

何かものを買う時というのは、「もっと毎日の生活を豊かなものにしたい」「つまらない毎日を変えたい」など、何か実現したいことがあってするものだからだ。

たとえば、ホームベーカリーを買おうかと検討する時、あなたは何を思い浮かべるだろうか?

朝起きると、部屋中がパンの焼ける香ばしい匂いに包まれている。朝食には、バターを塗った焼きたてのパンを「おいしいね」などと言いながら家族みんなが笑顔で頬張っている。そんな「ちょっとした幸せなひととき」を想像して、ホームベーカリーを買おうと思うのではないだろうか?

そして、その焼きたてのパンの存在によって、単調な毎日の朝食の時間を、小さな感動を覚えたり、「次はどんなパンをつくろうかな」と心弾んで考えたりする、彩りのある時間に変えていくことができると期待するのではないだろうか?

ホームベーカリーがあれば、「毎朝焼きたての美味しいパンを食べる」という願望を手軽に実現することができるのだから。

勉強するのもそれと同じだ。

勉強することは、今の現実を「こうありたい」と願っている理想の生活に変えることができる確実な手段なのだ。

その2つの理由から、私は社会人になって勉強することが好きになった。

そう言うと、前向きでプラス志向の生き方のようにも見えるだろう。

だが、それは言い方を変えれば「現実逃避」というマイナス志向の裏返しでもある。なぜなら、目の前にある現実よりも、「今そこにいない未来の理想の自分」をひたすら追い求めていたというのも事実だからだ。

しかし、現実逃避を求めて勉強をしていた部分もあるとはいえ、社会人になって続けていた勉強の数々は、常に私の精神的な支柱となってくれただけでなく、実際の生活や仕事のスキルの土台として私を支えてくれたのもまた事実だ。

そして、それらは、数年前の私が考えた「特別な能力や経験もないにもかかわらず、半年の準備で会社員からフリーランスへ転向する」という、無謀ともいえる計画を実現に導いてくれたのである。

フリーランスとなった私があるのは、「目の前の生活を変えたい」と願い、何かを学ぶことを続けていた「過去の自分」のおかげだったと言えるだろう。

今の生活には、ほぼ満足している。

しかし、まだ私には叶えたいことがあるので、勉強を続けている。

今やっている勉強は、きっとまた、これから先の未来につながる道をつくってくれ、数カ月後、数年後の自分にとっての土台や財産となってくれることだろう。

※このエッセイは、以前別のブログ・サイトで他の筆名で公開していたものを一部修正・追記して再公開したものです。

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